Root第ニ章:大学院修了時に日本語教師としてのキャリアアップを選ばなかった理由
はじめに
大学院で所属していたゼミは多文化共生をテーマにしており、台湾や韓国などの留学生との交流が多く、毎日が異文化・多文化交流でした。特に関心を持っていたのは、入学の動機でもある「歴史認識の違い」。
この歴史認識の違いを深く学び、日本語教師としてキャリアアップするのが、入学時の目標でした。にもかかわらず、結果的に日本語教師としてのキャリアアップではなく、中高の社会科教員という別の道を選択することになりました。今から思えばベターな選択をしたと思っています。
なぜ明確なキャリアアップの目標を持っていたのに、別の道を選んだのでしょうか。その事情について述べたいと思います。
すべてのはじまりは職員さんの一言
社会人5年目の春。日本語教師として働きながら大学院に通っていました。仕事もしながらなので、欲張って単位や資格を取るつもりはなかったのですが、入学時に大学の事務職員の方から、「年齢がいっているから(と言っても当時26歳)、教職課程はとったほうがいいよ」と言われました。
教職課程を取ると、週6日大学院に通わなければならなくなり、時間割が組めなかったらやめようと思っていました。ですが、大学院の授業が遅い時間が多く、仕事は午前中を中心にやれば何とか単位が取れることが判明したのです。
いろいろ考えた末、教職を取ることで日本語教師としての仕事の幅も広がると思い、中学校高等学校の教員免許を取ることにしました。一般に日本語教育を専攻すると国語の免許のことが多いですが、私の専攻では、なぜか中学校社会科と高校公民科の免許でした。
中学校での教育実習が、視野を広げる
大学院2年次に、出身の公立中学校で教育実習を行いました。その時にクラスにいわゆるハーフの生徒がいて、さまざまなルーツを持つ人に日本の歴史を一面的に伝える教育でいいのかどうか、考えさせられる機会がありました。その時、
このまま日本語教師を続けるのもいいけど、中学生や高校生に、中国、韓国、台湾等とは歴史認識が違うことを伝えるほうが、例の韓国の留学生の問いに応えることになるかもしれない
と、ふと思ったのです。
また、もともと子ども好きなのもあって、教育実習に行って中学生と過ごす中で、中学校教員という仕事が大変魅力に感じるようになりました。ただし、その年は公立の教員採用試験受験の申し込みをしておらず、まったく受験勉強もしていませんでした。実習後でも間に合う私立中高か、翌年に公立の採用試験を受験することも視野に入れるようになりました。
思わぬチャンス到来
教育実習が終わり、夏休みに入ってすぐに、単位互換で履修していた他専攻(教育史)の補講があり参加しました。その研究室を出て掲示板を見たところ、とある私立中高の採用情報を目にしました。幸い条件を満たしていたので、腕試しに受験することにしました。
補講の授業を担当していた先生にその学校を受験することを伝えたところ、偶然先生の研究室にその学校の沿革史がありました。計2冊、各1000ページを超える大部なもの。その場で先生にお借りし、隅から隅まで熟読して受験に臨みました。
教採の準備を全くしていなかったので、1次試験(書類審査)も通らないと思っていましたが、幸運なことに1次試験を突破することができました。
採用試験当日のミラクル
計画的に教員採用試験の準備をしていたわけではなかったので、今持っている力を発揮するしかありませんでした。どんな試験なのかも予想できなかったので、ろくに対策もできず、普段通り大学院に通い、仕事をしていました。
試験当日。校内を移動し、まず筆記試験を受けました。試験問題が配られ見たところ、なんと、数日前にゼミの先生から詳しく聞いた話と関連する問題だったのです!。「こんなミラクルあるの!? これは受かるしかない」という気持ちになり、張り切って必死に解答を書きました。
試験の後しばらく待機してから面接を実施。試験に手ごたえを感じたので、面接はとにかく楽しもうと思って臨みました。学校の沿革史を読み込んでいたので、学校についてはちゃんと答えられる自信はありましたが、思ったほど聞かれませんでした。
なお、面接は終始和やかな雰囲気で、大変楽しくお話をすることができました。
試験が終わって自宅にまっすぐ帰りました。着いてまもなく学校から電話がかかってきて、「採用です」と言われたのです。その時は本当に驚きました。
実はこの時、大変お世話になっていた別の学部の先生に、中国の大学で日本語教員として着任する話をいただいていました。悩んだ末、中高の教員を選択。大学院修了と同時に、私立中高の社会科地歴公民科の教員に転職しました。
中高の社会科教員として、歴史認識の違いを伝える
上記の事情で、大学院入学当初は全く考えていなかった中高社会科教員の道を選びました。大学院での学びの目的が、「歴史認識の違いを考える」だったので、むしろ学んだことを生かすという点では、この転職はふさわしいものだったと思っています。
最初の3年間は中学校の所属でした。新任で担任を持つことになり、多感な生徒たちと真剣に向き合う日々は本当に充実していました。
社会科の授業では、中国、台湾、韓国など東アジア諸国の地理や歴史を扱う機会が多くありました。歴史認識の違いについて生徒たちと共に考えたいという思いから、中国や韓国の歴史教科書(日本語訳)と日本の教科書を比較して、議論する授業などを行っていました。
歴史認識に真剣に向き合う授業を、生徒たちとつくることができたと強く実感できたことが1回だけあります。この経験は、中学校の時からの夢であり、ずっと続けたかった日本語教師を辞め、中高の教員になるという選択をしたことを、心から肯定的にとらえられた気がします。