働きながら大学院に進学した理由(1)マスターの場合
はじめに
私は、社会人になって二度、大学院に進学しています。しかも、二回とも働きながらの進学でした。最初は、社会人6年目・日本語教師3年目の時です。大学院博士前期課程(マスター)に進学しました。二回目の進学は、社会人18年目・中高教員11年目の時です。大学院博士後期課程(ドクター)に進学しました。
社会人になってから大学院に行く方は珍しくはないですが、大学受験ほど情報があるわけではありませんし、経験している人も相対的に少ないです。
そこで、最初に大学院(マスター)に進学するときに、なぜ社会人になってから進学することを選択したかについて、実体験に基づき述べたいと思います。
大学院進学に対する家族の反対
そもそも大学院に進学する最大の目的は、日本語教育関係の修士号を取ることでした。中学生の頃からの夢だった日本語教師として食べていくには、後述のように、修士号を持っていることで仕事の幅が広がり、より安定した働き方ができるからです。
そんな私が、大学卒業時に大学院に進学しなかった理由は、家族に反対されたからです。大学に行くことをやっとの思いで許可してもらえた家庭だったので、仕方がないことだと思いました。また、将来自分で稼いだお金で進学すればいいと考えました。
幸い、私が通っていた大学は大学院に進学する方の割合も高く、社会人をやってから、または子育てがひと段落してから進学する方とも日頃一緒に学んでいたので、社会人で大学院に進学することに抵抗はありませんでした。
業界の事情を知る
副専攻で履修していた日本語教育の授業は、大学2年生から始まりました。そこで、日本語教育が専門の先生に、日本語教師になるにはどうしたらいいか相談しました。すると、二つの経験が特に重要だと教えていただきました。
一つは、大学院を修了すること。もう一つは、社会人経験です。
日本国内の場合、日本語教師として安定した収入を得るには、大学の教員になるのが一般的で、そのためには、少なくとも修士号が必要とのことでした。また、海外で教える場合も、修士号があったほうが就職に有利とのことでした。なせなら、社会人経験が必要なのは、日本国内で学ぶ日本語学習者は社会人の方が多く、日本のこと全般を教える必要もあることから、経験しておいた方がいいからです。
家庭の事情と業界の事情にかんがみると、大学卒業時には就職するのがベストな選択肢だと考え、あえて就職することにしました。
社会人経験後にすぐ進学ではなく、現場経験を選択
その会社には、少なくとも5年くらいは勤めようと仕事に精を出していましたが、想定より早い約2年で退職することになりました。そのきっかけとなったのが、仕事中の大ケガでした。
通勤中に駅の階段から落下し、右足首の靭帯を切ってしまったのです。なんと、全治6か月。療養のため、約2か月の休職を余儀なくされました。その時医師から、「このまま営業を続けていては、治るものも治らないよ。3年くらいは歩く仕事は控えなさい」と言われてしまったのです。
勤務先は、入社して満3年以上経たないと、他の職種に移ることができませんでした。また、休職中に、「やっぱり夢を夢のまま終わらせたくない」という思いが強くなり、少なくとも5年くらいは勤めたいと思っていましたが、断腸の思いで退職しました。
退職のタイミングで大学院に行くことも考えましたが、この時点では明確に研究したいテーマがありませんでした。そこで、まず日本語教師として現場に出ることにしたのです。
会社を退職後、2か月のリハビリと転職活動の末、1999年4月夢だった日本語教師に転職。約10年かけて夢を叶えられた喜びは一入でした。
日本語学習者からの問いに心から応えたくなって
日本語教師2年目の夏。韓国の大学生の短期留学プログラムを担当していました。その授業後に、ある留学生から質問を受けました。その質問とは、
「日本の天皇制についてどう思いますか」というものでした。
それに対し淡々と答えたところ、
「そうじゃなくてあなたの考えを教えてください」と強い口調で言われたのです。
日本の天皇制について特段意識しないで日々暮らせる私と、日本の天皇制について日本の人がどう考えているかを意識せずにはいられない韓国の留学生。両者の間には、大きな溝がありました。
彼らの問いに十分答えられない自分は、このままでは彼らの前に立つ資格はない。日本語教師を続けるには、その問いに応えられるようになる必要性がある
と強く感じたのです。
このことが、日本語教師をしながら大学院に進学した最大の理由です。心から必要に迫られての進学でした。